高橋治之氏の経歴と出身高校大学などプロフィール。兄弟や家族、親族についても

高橋治之(たかはし はるゆき)氏は、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事として知られています。
ここでは、高橋治之氏の経歴と出身高校大学などプロフィールを中心に、両親や兄弟、親族についてもまとめてお伝えします。

この記事の内容

・高橋治之氏の経歴とプロフィール
・高橋治之氏の兄弟や親族

高橋治之氏のプロフィール

名前 高橋 治之(たかはし はるゆき)
生年月日 1944年(昭和19年)4月6日
出身地 東京都
学歴 慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部卒業
職業 実業家
肩書 電通顧問、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事、株式会社コモンズ代表取締役会長、日本ゴルフ協会アドバイザリーボード、日本馬術連盟東京五輪選手強化対策プロジェクト委員

出身高校・大学について

高橋治之氏の出身高校は慶應義塾高等学校(けいおうぎじゅくこうとうがっこう)です。
偏差値は76。
慶應義塾高等学校の卒業生のおよそ9割が慶応大学へ進学しますが、高橋氏も、慶応義塾大学へ進学しています。

出身大学である慶應義塾大学法学部(けいおうぎじゅくだいがくほうがくぶ)は、言わずと知れた有名私立大学で、政財界はもちろん様々な分野で多くの卒業生が活躍しています。
偏差値は67.5~70

高橋治之氏の経歴

1944年(昭和19年)4月6日
東京都に誕生

1967年3月
慶應義塾大学法学部 卒業

4月
株式会社 電通 入社

1977年
サッカー選手・ペレの引退試合『ペレさよならゲーム・イン・ジャパン』をプロデュース
スポンサーを付けTV中継し、国立競技場を満員にした
当時、日本でサッカー人気はないに等しかったが、そんな中でもペレの存在は特別だった。

以降、ワールドユース、ユニセフオールスター、トヨタカップといったサッカーの大イベントを次々に成功させていく

1993年1月
電通東京本社ISL事業局長

1997年1月
電通総本社プロジェクト21室長

1989年1月
電通スポーツ文化事業局・スポーツ事業部長

2000年7月
電通国際本部海外プロジェクト・メディア局長

2001年6月
電通常務執行役員

2002年
日韓W杯招致に尽力

2003年6月
電通上席常務執行役員

2004年6月
電通常務取締役

2007年6月
電通専務取締役

2009年6月~2011年
電通顧問

2011年4月
株式会社コモンズ代表取締役

2011年7月
株式会社Long Tail Live Station取締役

電通のスポーツ事業局の中心人物として活躍

高橋治之氏は電通時代、スポーツ事業局の中心人物として活動、Jリーグの創設、日韓ワールドカップの招致などに尽力しました。

FIFAワールドカップと言えば、今や日本でも注目スポーツイベントの一つとなっていますが、Jリーグ創設からワールドカップまで、サッカーブームの流れを作ったのが高橋さんだと考えると、凄いの一言ですね。

他にも、ワールドユース、ユニセフオールスター、トヨタカップなどのサッカーの大イベントも成功させており、”日本のスポーツビジネスを変えた人物”と言われています。

2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、日本ゴルフ協会アドバイザリーボード、日本馬術連盟東京五輪選手強化対策プロジェクト委員などを歴任しており、現在も第一線で活躍しています。

高橋治之氏の兄弟や家族、親族について

父親 義治 1916年6月~1986年7月 実業家
母親 朝子 1919年8月~2009年10月
治則 1945年10月~
2005年7月18日
(死因:くも膜下出血)
実業家
イ・アイ・イ・インターナショナルの社長としてホテル・リゾート開発事業に従事
環太平洋のリゾート王と呼ばれる

高橋治之氏を含め、父親、弟と、高橋家は実業家の家系です。

また、親族には、元総理大臣である濱口雄幸氏はじめ、大橋武夫氏(元労働大臣、元運輸大臣)、濱口雄彦氏(銀行家)、浜口巌根氏(銀行家)、北田正元氏(外交官)など、多くが政財界に身を置いています。

最後に

高橋治之氏のプロフィールと経歴を中心にお伝えしました。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事として、高橋氏は良く知られていますが、Jリーグ創設や日韓ワールドカップ招致の立役者だったことまでは知らなかった、という方が多いのではないでしょうか。
そして、父親、弟共に実業家であり、多くの親族が政治家として尽力した家系の高橋治之氏。納得の活躍ぶりです。